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2018年 9月 25日 専門のことを話そう(斎藤)

 こんにちは。社員斎藤佳輝です。地味に今月2回目の登場となります。

 今週はフリーテーマだそうで。まあ色々考えた末に大学で自分が何を専門としていたかを書こう、と思い立ち筆をとっています。最後までお付き合いくだされば幸いです。

 僕が専門としていた学問分野は西洋史学です。地域でいうなら欧米諸国が対象ですが、欧米諸国の植民地下にあった他地域について研究している人もいます(但し、オリエントは東洋史の範疇、と東大の西洋史では定義づけているようです)。もちろん時代は古代から現代まで、扱う分野も政治史から外交史、経済史、文化史、社会史、女性史(そういえば今年の東大世界史では近現代女性史についての大論述が出ましたね)等様々です。僕の大学の頃の友人には、ローマ帝国下のブリタニア(現イギリス)の政治史をやっていた人もいれば、1960年代のソ連地方統治について研究していた人もいます。

 そもそも西洋史学、ひいては歴史学とはどんな学問なのでしょうか。大学受験の世界史を思い浮かべている人もいるかもしれませんが、全然違う世界です。歴史学はまず教科書に書いてある世界史の流れをちゃぶ台返しするところから始まります。過去のことは全てが全て分かっていないことばかりなのです。古代でいえば海の民みたいに教科書ですら分かっていない表記のものもありますし、近現代のように確かに出来事としては確立されていて教科書に書いてあるけどその分細かい部分でどうだったのかまで分かっていない、というのもあります(後者の例は後で僕自身の研究を題材に説明しましょう)。そうした分かっていない過去を、所定の方法論に従って、史料から読み解き考察し、解明していくのが歴史学というものなのです。

 たまに「実生活に役に立たない文系の学問など必要ない」みたいな論調が出て、その中に歴史学が入っていたりするのですが、これははっきりと間違いといえます(そもそもこの世の学問に対する役立つ役立たないの二分法自体が間違っているのですが置いといて)。歴史学は、過去にこのようなことがあったから現代では未来ではこのようなことのないようにしよう、という過去の教訓を得るという要素も確かにありますが同時に、過去の出来事や考え方を踏まえて現代未来ではどう行動していくべきか、という考え方を得る要素もあります。そういう要素を内包している学問に対し役に立つ云々というのがそもそもの間違いなのです。

 一方で歴史学はほかの諸学とは違う、少々特殊な特徴があります。それが「歴史学は科学か物語か」という論争に見られるように、必ずしも歴史学=科学とは言い切れないところにあります。確かにある仮設に対し論理的に考えて立証していく面では科学といえます。しかし一方で数学や物理と違い過去のことなので再現が出来ない、という重要な問題があります。科学において「再現性」というのは極めて重要な要素です。それがどうしようもないという面では科学ではない、と言えるのです。こうした側面で歴史学は特殊なのは確かだと思います。ちなみに先ほどの「歴史学は科学科物語か」の論争に対する僕なりの答えは「方法論は確かに科学だが、その結果出てきたものは物語と捉えうる」と考えています。歴史は人間のこれまでの歩みが積み重なったもの。全てが全て合理的かつ論理的にいかないし、それに歴史を完全なる神の視点から語ることは不可能だからからこそ、物語になりうるのではと思うのです。

 こうした歴史学とは何だろうか、というのを考えるのにいい本があります。それがE.H.カーの『歴史とは何か』という本です。イギリス出身のソ連政治史研究者であったカーが1961年にケンブリッジ大学で講演したものをまとめた本になります。これは面白い本なので一度読んでおいて損はないと思います。但し、この本を大学受験生が読むことはお勧めしません。いい本なのですが、今学んでいる世界史とは何だろうと考え出し歴史の理解に混乱をきたしかねないからです。それに、こうしたことを考えるのは、今学んでいる歴史をしっかり理解した上でのほうが面白いと思います(世界史を含め、大学受験での教科科目って、こういうことを考えていく土台作りのために勉強していくのだと思います)。

 具体的に自分が何を専門としていたかという話に入りましょう。僕が専門としていたのは近現代ドイツ政治史でした。時期でいうと1930年代から40年代前半、そう所謂ナチス=ドイツ(以下第三帝国)の時代です。中高時代、歴史を自分なりに勉強していた時からこの時代には興味を持っていました(というより第2次世界大戦の頃の歴史が一番好きだった)。この第三帝国の中枢においてヒトラー含め様々な幹部が動きごたごたしていく様が面白く、それを研究したいと考えるようになりました。それが自分が歴史学をやりたい理由になりましたし、ひいては東大を目指す理由となったわけです。

 僕が書いた卒業論文の題目は『第三帝国の外務省研究―ズデーテン危機におけるエルンスト=フォン=ヴァイツゼッカーを中心とした考察―』(長いですね)。一言でいえば、ズデーテン危機に際して外務次官だったヴァイツゼッカーがどのような考えのもとで行動していたのかを考え、それを基に第三帝国下の外務省はどういう存在か考えていこう、というものです。

 ズデーテン危機自体は歴史的に確かに起きた出来事ですし、外務次官のヴァイツゼッカーがどういう動きをしたのかも彼が残した記録や文章等によってだいぶ明らかにはされてきています。しかし、彼の行動の背景はどういう考えがあったのか、そもそもこのズデーテン危機、広く第三帝国の下で、ドイツ外務省はどういう存在だったのか。そういう部分まではまだまだ分からないことが多いのです(前述した、過去のことでも分からないことが多いという記述の近現代の例となります)。

 先ほど様々な幹部が動きごたごたした様子を研究したいと言いましたが、その中で僕が注目したのは官僚でした。そのトップである外務次官の動きを見れば、その時外務省はどうであったかも分かる部分もある、という考えでこれに取り組んだのです。ただ、当然これらのことは全て自分の頭の中で作り上げたわけではありません。先行研究という、既に存在している研究を調べ、そこで取り上げられていない若しくはまだ未解決の部分を問題提起し、それに対し史料をしっかり読み込んだ上で論理だてて説明し、結論に向かっていく。そういうプロセスが必要になります。少なくともこれらのプロセスはどの学術研究にも当てはまるものだと思いますし、そうしたことが出来る前提として大学受験の勉強があると僕は位置付けているのです。

 流石に具体的な内容に入ることはここではしませんが、卒論の本文自体は見せることはできるので気になる方は声をかけてください。もっと詳しく話を聞きたいという方も歴史学に興味があるという方もそれ以前に東大に興味があるという方ももちろん、世界史何ってるのかわからんどうにかしてくれという方も声かけてくれたらなぁ、と思います。

 …長くなりすぎましたね(現在2877字)。フリーテーマなのでフリーに書かせていただきました(笑)ただ、これで大学に入ってから勉強面でこういうことを考えるようになる、というのがイメージできたのであれば幸いです。

 以上、本日は社員の斎藤佳輝がお送りしました。明日は中央大学2年生、中山担任助手がブログ担当です。お楽しみに!