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2019年 11月 27日 才能とは(吉瀬)
こんにちは、昨日に引き続きの吉瀬でございます!
寒くなってきましたね!!体調管理には気を付けて、寒ければホカホカの校舎に来てください!笑
さて、今日からのブログですが新シリーズ「担任助手はどんなことを考えているのか」が始まります!!
なんだそれはと言われても僕にもわかりません(笑)僕も楽しみです!
1発目となる今日は僕が最近考えている「才能」について書いていこうと思います。
みなさんは天才とか才能とはどんなものだか考えたことがありますか?
僕が1番最初に才能について考えたのは、覚えている限り小学生のときです。どういうイベントだったのかわかりませんが同級生の金管バンドを聴きにいく機会がありました。聴いていると確かにすごいなと思っていたのですが、周りの友達が「○○は天才だ!」みたいなことを言っていたのを聞いていて違和感を覚えました。それは、今思えば8割くらい嫉妬だったのですが(笑)、自分も彼らを同じように時間を割いて練習すれば彼らと同じくらいのことができる気がする、つまりは本当に彼らは天才なのか??と思ったのです。そして、同じ事は他のことにも当てはまることに気づきました。野球を習っている子ならドッジボールが強いのも、習字を習っている子がきれいな字を書くのも必然ではないかと考えました。このように「人は等しく才能をもっていてそれが発揮されたときに天才と呼ばれる」というのがそのときの考え方でした。
これは僕の成長に伴って変化してきました。それから10年くらい過ごして自分の視野もだいぶ広がってきて、こいつにはどう頑張っても勝てないし真似もできないと思えるような人に出会いました。テストで自分が思いもしなかった解き方で正解している人を見たり、サッカーでも自分の才能の限界を感じたりしました。努力ではどうしても埋められない差を感じるようになったのです。生まれながらの才能の差なのかもしれないと思っていました。
そしてこれがまた、最近変わりました。大学生になると圧倒的に関わる人の人数が増えました。東進の担任助手をやらせてもらっていることもとても大きいと思います。力はあったのにそれを発揮できる舞台までたどり着けない人や、逆に力はそれほどもっていなかったのにいつの間にか大舞台で輝いている人に出会いました。この2人の差は一体何だったと思いますか?それは「継続する力」です!
1つの夢や目標を叶えるにあたって同じ志を抱く人は数えきれない程にいます。しかしその内のほとんどは自分から勝手に諦めて夢を叶えるレースから脱落してしまいます。例えば僕であればサッカー選手になってW杯に出場したいと卒業アルバムにはっきりと書いていましたが、高校で試合に出れず大学で怪我が重なり、すっかり心が折れてしまいました。サッカー選手を目指したことのある人はおそらく相当たくさんいたと思います。しかし実際にW杯のメンバー選考のときに候補に挙がるのは多くて50人くらい、実際は30人くらいだと思います。ポジションを限れば能力の差で争っているのは3.4人程度ではないでしょうか。ここまで言ってしまうと極端かもしれませんが、能力は目標を達成させるための1つの要素でしかないのではないかというのが今の僕の考えです。
難しくなってしまったかもしれませんが、結論として「才能とは最後までやり切る力」だと考えています。途中で脱落せずに努力を続け、自分が輝ける舞台までたどり着けた人が天才と呼ばれ、才能があるということになるのではないでしょうか。
では、みなさんに才能はありますか?言い換えれば、最後まで努力し続けることはできますか?
才能がある!と豪語できる人はほとんどいないと思いますが、努力することならできそうではありませんか?それも立派な才能だと思います。
部活がなくなった今、僕は継続して頑張っていることがないのでまずいなと思っています笑
お互いに天才になれるようにがんばりましょう!